mcgill_exchange’s diary

マギル大学交換留学生によるブログ

ベルトコンベイヤー〜かん〜

こんにちは、マギル大学に交換留学中のかんです。哲学と政治学を学んでいます。

 

今回は漠然としたテーマについて書きたいと思います。それはベルトコンベイヤーについてです。

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自分が住んでいた日本を少しだけでも離れてみると改めて自分たちが送っている生活の歪み(absurdity)に気付かされます。例えば。

僕たちは自分たちの生活にあまり違和感を持ちません。何で学校に行き、何で一生懸命に勉強をしているのか。たくさんの人はこの「常識」に対して自問自答をしたことがないのではないでしょうか。毎日を当たり前だと思って送っている僕たちは必死になって勉強をし、恋愛をし、「他の人がやってそうだから自分もやる」ことをする義務感までも感じているのではないでしょうか。何で?まだまだですがこの 何で を自分にも問い始められるようになれたのもマギルのおかげです。

もともと疑心暗鬼に過ごしていた生活の中で自分は何度も何で自分は生きているんだろう、と説いてきました。答えなんかありません。それだけが判明しました。

何で?を聞けば聞くほどその人によっては「痛い」「つらい」などと感じるでしょう。だけどほとんどの人はこの疑問から逃げていく。自問自答を避けていく。その方が簡単だし、楽だから?「生きている意味なんかない」といった結論に至ったらそれはもう辛いです。だけどそれが真実だということを多くの人は信じません。何か「人類」といった生き物には特別な存在意義があると思い込んでいる人々はこの現実を受け止めたくありません(宗教などを見たら。。)。あくまでも、僕がここでいう「生きている意味はない」は個人的な存在意義ではなく、「ヒト」といった生物としての存在意義のことを指します。だって個人的観点から見れば生きていく意味なんてヒトそれぞれですし。。

だけどその中で気づいたのが、多くの人は自分に'why'を問うことさえもしません。みんなベルトコンイヤーに乗ってるのです。

 

マギルで会う学生はみんなすごい優秀でいわゆる'hardworking'です。今まで出会った殆どの人が将来は弁護士か医者になるためにlaw schoolかmedical schoolに行きたいと語っています。だけど、彼らに(もちろん全員じゃないけど)「何でそんなに勉強しているの?何で医者になりたいの?何で弁護士?」などと突き詰めていけば突き詰めていくほど彼らは答えにつまずきます。これは当たり前のことで個人的にも理由なんてつけることはただのconvention(慣例?)だと思っているし、何にかんでも理由があると思うのは間違っていると個人的に思ってしまいます。何がかんでも'why'を突き詰めすぎても答えを毎回期待する方が間違っていると思います。ですが彼らのほとんどが回答する理由は「みんなもそうだから」「社会の勝ち組みになるため」「一番幸せになれるから」など。そもそも勝ち組みって何?幸せの意味を僕たちは発見できないのに何で容易にその言葉を使えるの?みんなもそうだから?それは気づいていないうちにレールに乗っているのではないでしょうか。

 

ベルトコンベイヤーとは決められた方向にしか進んでいません。僕たちは気づいていないうちにこのレールに乗っているのです。それを疑問に思うこともなく。常識は常識なんかじゃない。当たり前のことは当たり前じゃないことを僕たちは見落としがちです。日本で言えば学校受験や就職活動、多くの人は無意識のままレールに乗って進められてしまっています。そこを必要であればはみ出る勇気とこのベルトコンベイヤーに気づける哲学を僕は探しています。

 

少し長くなってしまいましたが、ありがとうございました。