mcgill_exchange’s diary

マギル大学交換留学生によるブログ

マギルのカウンセリングサービスを利用してみた~弱音の吐きやすさ吐きにくさについて~

お久しぶりです、れれれです。先日、マギル大学のカウンセリング・サービスを利用しました。それというのも二月半ばくらいから後半にかけて、体調があまりよくなかったり、ルームメイトとごたごたがあったり、それなのにエッセイやら中間試験があったり、良くない状況が重なってしまってメンタルが風邪をひいてしまったためです(´・ω・`) マギルは課題など厳しい大学として有名ですし、海外で一人暮らしをするのはなかなか大変なものです。今後留学を考えている皆さんが、留学先でしんどくなった時こういうサービスを利用してみたっていいんじゃない?という提案のつもりでこの記事を書きます。同時に、日本は公共の場において精神的なつらさを吐露しにくいのではないか、という問題提起もしたいと思います。

 

マギル大学にはBrown Buildingという主に学生の健康面のサポートをする部署が集まった建物があります。この建物ですね。

(画像元:https://www.mcgill.ca/studentservices/brown-building)

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カウンセリングサービスを利用したい場合、電話予約か直接Room4200にいってカウンターで予約を入れる必要があります。予約と利用当日の際はマギルIDが必要です。無料で利用できますが需要の多さゆえ、予約をすっぽかすと罰金を取られてしまいます…

 

さて、カウンセリングサービスの需要が多いということはサイト上でも記述されているのですが、実際にRoom4200に行ってみるとそれを感じることができます。私が予約しに行った時も、当日待合室で必要書類を記入していた時も、予約の電話や「今日○○時に予約しているのですが…」とひっきりなしに学生が訪れていました。私はこういう場に来る人はもっと陰鬱な雰囲気を漂わせているものだと勝手に思い込んでいましたが、案外ケロッとした顔でカウンセラーが呼びに来るのを待っていたり、カウンターで予約を入れたりしていました。私のこの思い込みにこそ、「精神的なつらさ」の吐き出しにくさのカギが隠れているのではないでしょうか。

 

あくまで私の分析ですが、日本の場合「鬱」や「精神的に病んでる」状態はある種のスティグマを持っているように思われます。例えば、そういう人は心が弱いのだ、とかひどい場合だと「皆辛くてもそれを心の中に押し込んで頑張っているのに、それができないなんてダメなやつだ」とか。結果、精神的にまいっているのに「まだ頑張れる、まだいける。誰かに相談するほど深刻な状況じゃない」と自分に鞭打ってしまう。この「精神的な辛さのスティグマ」と共に、カウンセリングや精神科などにもスティグマが生じます。「そういう場所にはもっと深刻な状態になってから行くべきで、これしきのことでカウンセリングなんて恥ずかしい」と。

 

けれども、自分の辛さを自発的に誰かに話すことって、ある程度エネルギーが残っていないとできないことだと思います。私はジェンダー学を学ぶ中で、性暴力経験者の語りの分析など目にしてきましたが、語ることができるのはある程度精神的に回復したときか、まだどん底まで落ちていないときです。それなのに、語る力が残っているときに「まだ平気だから」とますます自分を消耗させる方向に向かっていったら…。

 

私はマギルのカウンセリングサービスを利用したのはこれが初めてですし、そのサービス内容の詳細な状況について観察・分析できたわけではないので、ここで書いたことは偏りがあるかもしれません。また、カウンセリングも万能ではなく合う人合わない人いると思います。けれども今回の利用を通じて目にした利用者の多さ、その様子から、マギル大学にはこのサービスを利用することに関してスティグマがない、というように思えます。ちょっとストレスを抱えているかな、精神的に辛いかな、と思ったら、風邪の引き始めに病院に行って薬もらうのと同じような気安さで、こういったサービスを利用する。それが本来あるべき姿かなと思います。肉体的にも精神的にも元気で頑張れるのが一番なんですから。自分がご機嫌な状態で頑張れるように、運動したり音楽聞いたり友達と遊んだり、好きなもの食べたりする。それと同じように、自分を元気にするための手段としてカウンセリングがあったって良いではないか、と思います。

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(カウンセリングサービスにて、不眠気味なのを相談したらサプリメントを紹介してくれました)

 

マギルのカウンセリングサービスは多岐にわたり、ストレスの解消法や、完璧主義への対処法などのワークショップも開かれています。私もこれらのワークショップに何度か参加したことがありますが、どのワークショップも参加者でにぎわっています。参加者が自分の経験を積極的に語る姿も見られます。この環境がまた、「こうしたストレスを抱えることは誰にでも起こり得ることで、特別なことじゃない」という脱スティグマに好影響を与えていると思います。

 

精神的な辛さがスティグマ化されている状態というのは何一つ良いことがないのではないでしょうか。自殺や、他者や自身への暴力、何かへの依存など、吐き出すことの出来なかった辛さが積み重なって起こるとも考えられます。何よりも自分を責めつづけるなんて、そんな悲しいことはない。辛さを抱え込んで努力しつづけることが美徳なのではなく、辛さを吐き出して心身元気な状態で努力できることが一番だ、という方向に変えていきたいですね。