mcgill_exchange’s diary

マギル大学交換留学生によるブログ

フィロ φιλοσοφία かん

お久しぶりです、マギル大学に交換留学中のかんです
雪が溶け始めてきて、いよいよ交換留学が終わってしまう日が2ヶ月を切りました。ものすごい勢いで時間が過ぎてしまいました、、

今回は個人的な気づきについて話したいと思います。それは、20年間生きてきた中で見つけることのできた自分にとって最も大事な出来事のこと:何を学ぶべきか です。

マギル大学に来る前までは政治学と法学を主に勉強して来ました。

読んでいる方々の中にも学生の方がいると思います。その人たちに聞きます:今一生懸命に学んでいることに疑問やモヤモヤ感があることがないですか?例えば、「なんでこれを学んでいるんだろう?本当にこれが学びたくて学んでいるのか?好きじゃないのになんで学ばないといけないのか」などなど。

僕もそのような人のうちの一人でした。自分に「これ」こそが本当に学びたいんだと無理やり言い聞かせていることに気がつきました。もちろん、政治学や法学は好きです。だけど心から、「今」それを求めているのか、と自問してみると、そうでもないことに気づきました。それよりも大事な、自分が心から熱中できる「知」があることは前から感じていました。だけどそれがうまく具体的に分からなかったり、表現しづらかったことが多かったです。
マギル大学に来るまでは今まで自分に問いかけてきたそのナニカをうまくピンポイントに指摘することができませんでした。

好奇心旺盛の僕は日本にいた頃は正直、腰を据えていませんでした。ありとあらゆる興味の出たものに飛びついたと思ったら、次には全く別のことに熱中していました。中途半端に終わってしまったアルバイトやインターンシップ、学生団体、授業などなど;僕は数え切れないほど何もかもを欲しがっていました。色んなチャレンジに挑戦するのももちろん大事だと思いますが、僕の場合に至っては全てが中途半端になってしまいました。まだまだ未熟ですが、今になって振り返ってみるととんでもない回り道をしていました。

僕の尊敬する人は「回り道をしないと周りは見えないよ」と言っていました。確かに様々な回り道をでき、その多数な機会に恵まれていたからこそ自分が本当に何を求めているのか、を今やっと長い時間をかけて見つけることができました。僕にとってはそれがフィロソフィーです。

日本語で「哲学」と訳すとすごい偏見や変なニュアンスを生じさせてしまう気がします。本来の言葉(Philosophy)の従来的意味は「知を愛すること」です。もちろんフィロソフィーの意味は何?と聞き始めるとキリがないほどの答えにたどり着きます。
フィロソフィーには自分が探していた質問や考えが詰まっています。この世の中で人にとって最も大切な質問を説いていくのがフィロソフィーという学問です。

2000年以上も前に亡くなった哲人はその2000年後の今でも影響を及ぼしています。人類の歴史の中には様々なヒントだったり今にでも通じる思想が多数広がっています。そのような英知と触れ合い、本を通じてダイアローグをできることは本当に素晴らしいことではないでしょうか。よく見てみると、僕たちは未だにかつての哲学者たちが説いて来た質問をまだ解こうとしています。答えはありません:だからこそ真面目に自分と向き合い、自問自答を繰り返さなければいけません(長くなるので今回は詳細は省かさせていただきます)。

良い人生とはなにか、幸福とはなにか、人間とはなにか、など。考え始めるとキリがないですが自分にとって最も大切なナニカを探求できるのがフィロソフィーです。
自分たちを見失い始めてきた近頃、道しるべになるナニカが大事になってくるでしょう。

仮に80年生きたとしても約30000日しかない人生をどのように舵をとって進んで行くか。これを胸に、さらに考えていきたいと思います。

わざわざ読んで下さりありがとうございました。

 

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